奈良地方裁判所葛城支部 昭和41年(ワ)13号 判決 1968年3月29日
原告 古川隆憲
右訴訟代理人弁護士 三好泰祐
右訴訟復代理人弁護士 石橋一晁
右訴訟代理人弁護士 石川元也
同 小林保夫
被告 村井工業株式会社
右代表者代表取締役 村井半一郎
右訴訟代理人弁護士 島秀一
主文
被告は原告に対し金二、一二九、五二六円およびこれに対する昭和四一年三月三日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分しその一を原告の負担としその一を被告の負担とする。
本判決は仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は被告は原告に対し金九、九八四、二二六円および内金五、〇〇〇、〇〇〇円に対する昭和四一年三月三日以降内金四、九八四、二二六円に対する昭和四二年九月二日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決ならびに仮執行の宣言を求め其の請求原因として被告会社は本田技研鈴鹿工場から旋盤加工によるフロントホイルハブの製造加工を下請負している会社で従業員約一〇〇名を使用しているものであり原告は昭和三二年一〇月より被告会社に旋盤工として雇われ昭和三九年五月三一日退職当時は仕上げ部門の係長をしていたものである。本田技研鈴鹿工場は本田技研が世界に誇る単車のベルトコンベア生産方式を行っていながらそれに見合う部品倉庫を持たずすべて下請企業から納入させる方式をとっており従って各下請企業は右本田技研の右生産方式に支障を来たさぬように部品を納入しなければならなかった。被告会社の経営者も亦この本田技研の部品倉庫たらんとする経営政策をとりかつ利潤をあげんがためにその生産能力以上の受註をししかも限られた納期を厳守するため生産設備に比較して少い労働者を使用し時間外労働未成年者の深夜勤務を強いるなど過酷な労働強制をなし作業場の保安設備も不十分であるなど労働条件も極めて不良であった。ところが昭和三八年一一月六日当時被告会社の本工場であった当麻村工場の作業場で四尺旋盤に本田技研製品の五〇ccカブ車の部品であるフロントホイルハブのとりつけ作業に従事中チャックの不備からフロントホイルハブがはずれ猛烈な回転速度のまま原告の左前額部に命中したのである。右事故の発生原因は被告会社の不完全な生産設備によるものである。即ち旋盤は被加工物を取りつけそれを回転ないし移動させて加工するのであるがその取りつけは被加工物の形状に応じた治具を必要とする。ところでフロントホイルハブは直径一五センチ厚さ約八センチ重量約二キロのアルミ製品であるがこれを旋盤の爪でつかむ個所は狭い上に抜き勾配があって傾斜しているので三爪チャックによって三点で取りつけするときその各点の接触面は極めて少く従ってチャッキングはいつも不安定であった。又右部品は鋳物型で固められる際その最底部でできるためその部分に「す」が入り軽石のような状態になっていることが多くそれを肉眼で発見することができずそのまま旋盤に取り付けて加工すると爪との接触面が欠けて落ちるがこの「す」が入るのはこれを作るダイカストマシンの不完全であることによるものである。それらのためフロントホイルハブは旋盤加工中しばしば飛び一日一台につき平均二ないし三個飛ぶのが通常でありただ原告の場合のような大事故に至らなかったというだけであり従業員はその作業を敬遠していたのである。このように被告会社はチャッキング不備のためたえず被加工体が飛んでいたのにあらゆる種類の被加工体に共通して使用する三爪チャック所謂万能チャックのみを備えて事足れりとし生爪を被加工体をつかみ易いように加工してそれを強力チャックに取りつけ特にフロントホイルハブの内側から外に向けて爪を張るようにして取りつければ「す」に関係なく又抜き勾配も何等危険をもたらさないようにでき更には手動チャックに代えてそれよりも被加工体を旋盤に固定しておく力の強いエアチャックを設置するなどフロントホイルハブ加工専用法の治具を備えることによってフロントホイルハブの飛ぶことを防止できるのである。このように被告会社におけるフロントホイルハブ加工は危険を伴う業務があるため被告会社の係長級の者で構成する生産会議が毎月二、三回開かれたがその席上安全対策について原告を含む多くの係長から具体的な要求ないし意見が出され課長を通じて上部に申入れて貰い特に原告は旋盤に関してフロントホイルハブ加工専用の治具を作り安全に作業のできるようにすべきだと再三課長を通じて改善を申し入れ或は高岸設計課長がエアチャックを採用せよと申し入れたこともあって危険防止のため安全装置の取り付けが必要であることを強調したに拘らず被告会社の責任者はこれらの事情を熟知しながら出費をおしみ何等の対策をも講ぜずに放置し三爪チャックによる作業を原告等従業員に強制した。又危険な加工をする場合通常旋盤を使う事業場においては旋盤に遮蔽カバーを取りつけ或は作業員に防護面を使用させるなどすべきであるに拘らずこれらの備付をもしなかった。労働基準法第四六条によれば危険な作業を必要とする機械および器具は必要な安全装置を具備しなければ設置してはならない旨定めており使用者は常に労働者の安全衛生等に対する点検と配慮が義務づけられている。本件は被告会社がかかる義務に違背し従業員の要求を無視して不安全な治具による作業を強制したことによるものであり事故発生に対する未必の故意ないし少くとも過失のあること明らかであるから不法行為上の責任を免れない。尚原告の場合とは異なるけれども被告会社の災害の事例として腕をはさまれ腕を切断し指を落し或は変形し腕膊部骨折などの負傷をしたものがありこれらはいずれも旋盤による事故ではなくダイカストマシン又はプレスによる事故ではあるけれどもダイカストマシンは三年間も検査も受けず修理もせず放置して継続して使用し又プレスは油圧式プレスの油圧装置を備えつけずダイカストマシンの油圧装置をプレスの油圧装置として併用したためダイカストマシンの作動によりプレスが不規則運動をなしそれによって起ったものでいずれも被告会社が安全対策を怠ったことによって惹起したという点で本件事故と共通するものがあり被告会社の過失を推測させる資料となる。原告は右事故の結果左前額部に長さ約四センチメートルの裂傷を負い約一ヶ月間大和高田市の市民病院に入院しその後昭和三九年九月頃まで奈良県立医大附属病院脳外科に通院したが右通院期間中の昭和三八年一二月末頃労災保険の休業補償だけでは生活ができないので一旦復職しダイカスト部の係長として事務的な仕事に従事したが炊飯部に配置換して旋盤を動かすよう命ぜられたため被告会社に交渉したけれども被告会社において再発につき責任を負わぬとのことであったから同三九年六月末退社しその後同四〇年一月頃まで失業保険で生活したがその保険の切れた後の同年四月頃から頭部に変調を来たし同年五月七日から手がしびれ頭が痛くなり再発したので前記病院の中村洋医師の診断を受けた結果受傷後頭重感頭痛頭部圧迫の自覚症状は瘢痕により惹起された脳振盪症および外傷性左第一枝又神経痛によるものであることが判明ししかも右の症状は加療により幾分か疼痛が緩和することがあってもかなり長期に後遺するばかりか消退したように見えても将来再発する可能性は極めて高いということであった。そこで原告は被告会社に三、四回赴き被告会社代表者等に後遺症再発の事実をつげ善処方を懇願したが被告会社代表者らは労災補償だけで事足れりとして何等の回答を得られなかった。原告は現在も尚引続き通院加療中であるが前記症状のため稼働不可能な状態である。よって原告は被告に対し病気の再発した昭和四〇年五月七日以降の休業補償として同日以降三年間は労災補償から六割を補償されるので損害賠償として右期間の原告の事故時の平均賃金四六、二一三円の四割による合計金六六五、四六七円のほか昭和四三年五月七日以降は労災補償による休業補償は支給されないので賃金全額について請求するが原告は同日現在三六才であり就労可能年数は二七年であるからこれの年毎ホフマン係数一六、八〇四による同日以降の喪失利益が金九、三一八、七五九円となるので右金員合計金九、九八四、二二六円および内金五、〇〇〇、〇〇〇円に対しては訴状送達の翌日である昭和四一年三月三日以降内金四、九八四、二二六円に対しては請求の趣旨拡張申立書の被告に送達された日の翌日である昭和四二年九月二日以降完済に至るまで各年五分の割合による金員の支払を求めるため本訴請求におよんだと陳述し被告の答弁に対し被告会社は本件事故は原告がチャッキングにつく削粉を取り除かぬことにより起った事故であると主張するようであるが削粉は旋盤が高速度で回転するため附着することはあり得ない。又フロントホイルハブの中ぐりを削る時の削粉もチャッキングに入ることもない。削粉がつまって不完全なチャッキングのときにはバイトをあてるまで又はあてたとたんに飛ぶものであり本件事故がバイトを当てて外周を加工後中グリ加工中に起ったことから考えると削粉がつまったことによる事故でないことは明らかである。原告が旋盤加工について事故当時一五年の経験者でありフロントホイルハブの加工に従事している相当のベテランであったことから考え原告が加工前に削粉のつまっていることに気付かぬ筈はなく従って原告は無責任であると述べ(た。)≪証拠関係省略≫
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め答弁として被告会社の営業内容が原告主張のとおりであり原告に主張の日時主張のような負傷事故のあったことは認めるが原告の被告会社への入社年月日および受傷の内容は争う又原告の故意又は過失の主張は否認する。本件事故の発生原因は原告主張のようにチャッキングの不備を原因とするものではなく原告の不注意によるものである。原告はフロントホイルハブの取り付けチャックが不備であったというが旋盤への取り付けは三爪チャックをもって固定していることは通例かつ一般であって被告会社特有のものでなく又防護カバーについては被告会社にその備付があっても作業困難を理由としてこれを使用せずフロントホイルハブが偶々脱離することはあるけれども右による事故は従業者の注意により十分避けられるのが例であって原告においてもこれを避止し得るものであった。このことは現在に至るまで同一機械で同一内容の作業を行っているが本件以外にこの程事故を生じていないことにより十分推知し得るところである。又削り作業に多少危険の発生を伴うことは当然予見し得るもので右事故を避止するために作業員は特段の注意を払ってこれを除去すべきもので被告にその責を帰せしめんとするのは誤である。原告は被告の生産設備が不備であるというけれども工場設備は中小企業として十二分のものであり技術行程においても何等の不備がなく更に原告主張のように被告会社において工員特に原告に対する作業強制の事実はなく原告は現場の班長として自主的に殊に本件事故当時は独り作業をしていたものであって強制といわれる筋合はない。要するに本件事故の発生原因はダイカスト部仕上係長として常に工員を指導監督し機械の正常運転を監視すべき注意義務を負う立場にありながらチャックに削粉が混入したのを看過して完全な調整を怠り作業したためであって原告の不注意によるものである。もっとも製品内に発生する「す」が製品検査過程において看過せられ右欠損部分の存在のためフロントホイルハブの飛ぶこともあるけれども右の欠損部分の発見はレントゲン検査を経なければ不可能であるから不可抗力といわねばならない。いずれも本件事故は被告会社に故意のなかったことは勿論過失もないから被告会社には損害賠償の義務はないと述べ(た。)≪証拠関係省略≫
理由
被告会社が原告主張のような業務内容の会社であり原告が被告会社に主張の頃旋盤工として雇われていてその在職中の主張の頃主張の個所に負傷したことおよび主張の頃退職したことは当事者間に争がない。原告は原告の右受傷は被告会社における主張のような設備の不備により惹起したものであって右事故は被告の過失に基づくものであると主張し被告会社はこれを否認し右事故は原告の不注意により起ったものであると主張するのでこの点について考えるに≪証拠省略≫によると本件のような事故は今迄に発生したことはなかったけれども以前にもフロントホイルハブがしばしば飛んだことがありそのことが現場の従業員から被告会社の取締役であり総務担当者である訴外坂本茂信に伝えられ又職場の責任者から危険防止の方策について被告会社に提案がされていたに拘らず≪中略≫被告会社においては現場の声に耳を傾けてその原因の究明につき努力を払い或は何等かの措置を講じた事跡の認むべきものなく却って一に従業員の不注意によるものとして顧みず現場の者殊に原告にこれが防止対策を図ることを求めるなど責任を転嫁したこと更には能率の増進を図ることもさることながら一度過れば人命にも関わる職場にあっては従業員の好悪に拘らずカバー等保安用具の使用をこそ強制するなどして人間尊重を第一義に考えるべきであることを忘れ只一途に生産にのみこれ努めたことが認められる。右の認定事実からして被告会社において大事故の発生しなかったことに安んじ可及的安全施策を怠ったものというべく従って原告の被告会社における社歴地位よりして旋盤における熟練者であることも合わせ考え原告における過失を認めることのできない本件では本件事故の発生は被告会社の過失に基づくものというべく右認定に反する証人松永栄一、坂本茂信の各証言は措信しがたく他にこれを認めるに足る証拠がない。
近代的な企業活動はそれぞれに内在する高度の危険性から場合によって不可避的ともいえるような損害を惹起することが多い。この種の損害は行為者の故意過失の立証も困難を伴いがちであり従って過失責任を前提とする限り被害者の保護は不安定となりその結果としていわば他人の不利益において企業の利益をはかるともいえる極めて不公平な事態を招くことが少くない。工場の災害によって労働者に災害を生じたときは災害補償として一定額までの補償を得られるのであるがこれを超える財産的損害または慰藉料を請求する場合過失責任を原則とする民法の不法行為によるときは被害者の保護につきなお十分ではない。民法第七一七条は土地の工作物等の占有者および所有者の責任を規定しているが土地の工作物とは土地に接着して人工的作業を加えることによって成立した物をいうとされており機械のように工場内に据え付けられたものはこれに包含しないとされているけれども工場内の大きな機械のようなものは実質的には建物と一体をなしているものであり工場の建物を基礎とする企業設備は全体として土地の工作物となると解し危険性の高い工場企業により高度の安全性確保の義務を課し企業者に無過失責任を認めることが労働者の十分な保護に欠くべからざるものであると考えるべきであるからこの点からしても被告会社はその責を免れるものではない。被告会社代表者本人尋問の結果により認められるように被告会社は当地方の上級企業と自称しているに拘らず多年勤務した原告に対し原告の過失ときめつけ原告の要求により漸く退職金として金三〇、〇〇〇円を交付して事足れりとしていることにかんがみ更にその感を深くする。
よって被告会社は原告に対し原告の本件事故によって蒙った損害につき賠償する義務がある。
よって損害賠償額の点について考える。まず原告は昭和四〇年五月七日以降三年間休業補償として賃金の六割を補償されたので事故当時の平均賃金月額四六、二一三円の四割合計金六六五、四六七円を請求するのでこの点について考えるに≪証拠省略≫によると原告の主張事実を認めることができ右認定をくつがえすに足る証拠がない。ついで原告は昭和四二年五月七日以降は労災補償による休業補償を支給されないので賃金全額につき同日以降就労可能年度二七年間にわたり損害を請求するのでこの点について考えるに≪証拠省略≫によると原告は本件受傷により診断の結果現地点においてなお十分な労働能力を欠いている事実が認められるけれどもこのような状態が今後原告主張の期間継続して存在することについての断定的な証拠なくかえって甲第一号証によると軽度の労働に堪え得る蓋然性の存することが推認されるから原告の症状は今後における弛みない加療により軽快に向うものと推測されるので諸般の事情を考慮して賠償を求め得る期間を三年をもって相当とし前認定の平均賃金につきホフマン方式により計算した金一、四六四、〇五九円と認定する。よって原告の本訴請求は以上認定の合計金二、一二九、五二六円および本件訴状の被告に送達された日の翌日である昭和四一年三月三日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度において理由があるから正当としてこれを認容しその余は失当としてこれを棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 篠田吉之助)